[和太鼓と音楽の話・5]

最終更新: 2019年9月3日

 どうやって作曲するんですか?みたいな質問を頂く機会が結構あります。


 俺の場合は、とにかく楽器とパソコンの前で粘ります。「色々やってみる→捨てる→集中力が切れる→ネットで資料探し→つい遊んじゃう→我に返る」の繰り返しなので効率が悪いです。

 あと、全部自分で作りたい(全パートの楽譜を作りたい)タチなのでさらに遅いです。黒さんの場合だと、メロディ以外のパートはザックリとしか決めてなくて、残りはみんなで詰めていきます。作曲の方法論について、黒さんは民主主義で俺は独裁者です。充の場合は稽古場が道場になります(充が師匠)。


 原則として、BATI-HOLIC には「和楽器しか使わない(改造はOK、周辺機器は除く)」というルールがあります。また「和太鼓の魅力・迫力が伝わる編曲」が出来ないと不採用になるケースが多いです。そして「多くの現代人がノれる、アガる」事。BATI-HOLIC では、これらの要素が楽曲採用の判定基準になります。


 和太鼓は魅力的な楽器ですが、西洋的な価値観で考えると扱いづらい所もある楽器です。従って、本来なら異なる価値観に切り替えて作曲を行うのが自然であり当然です。

 でも俺は、多くの現代人の音楽脳が、西洋的な価値観に染まっているものと考えます。だから俺もあえて、西洋的音楽脳のまま価値観を切り替えずに作曲を行います。それが基本姿勢です。


 ゴッタンやエレキ三味線の導入により「和太鼓を使ってロックする」事に、格段の幅ができました。和音が使えるようになって、より色彩豊かで直接的なエモーションが表現できるようになりました。

 ただそれは諸刃の剣でもあって、曲がメロディアスになり過ぎると肝心の和太鼓の印象が薄れてしまいます。それでは本末転倒です。


 この問題は今でも頻繁に起こります。ここまでならOKという線引きも個々の感性による所があって難しい。俺と充がよくぶつかるポイントです。充は何よりも音楽キャリアに一番厚みがあって色々経験してるから、俺が安易にメロディやコードバッキングに走ろうとすると警鐘を鳴らしてくれやがります。そして毎度のように、俺のデモはボツになるピンチを迎えるのです。

 

 そう、充は俺にとって最初に倒さなければならない強敵なのです。


 そして強敵と書いて、友と読むのです///


つづく