[和太鼓と音楽の話・6]

最終更新: 2019年9月3日

 “ロック”とは、音楽のジャンルを示す言葉であり、またアティテュードを表す言葉でもあります。俺が「和太鼓でロックする」という場合の意味は、基本的に後者です。


 では「ロックなアティテュード」とは何かというと「自分の気持ちに従った結果としての反体制」です。自分らしい事を求めたら、たまたま異端だった。周りから「お前は違う」「偽物だ」と言われても俺は俺を貫くぜ。これがロックです(うっとり)。


 自分らしさを考える過程で、自分が日本人であるという事実からは逃れらないと思いました。そして「ロックする」という思いすら、「ロック」という外来語を使わないと表現できない自分を発見しました。日本語に訳せば「傾く」とかになるのかもしれませんが、俺はそんな言葉を使って生活した事が無いので、やはり「ロックする」が一番しっくりきます。


 仕方がないので「ロックする」という言葉は既に日本語化しているんだと言い聞かせました。でもなぜ俺たちは「ロックする」ために外国の楽器を使うんだろう。日本人が「ロックする」ならば、なぜ日本の楽器を使わないのか?ドラムスの役割を和太鼓が担う事で、音色と打法の違いから生まれる新たなグルーヴは存在しないのだろうか?ギターでパワーコード(弦2本で引ける)多用するジャンルなら三味線でも対応できるんじゃないか?外国の音楽なんだから外国の楽器でやれば良いじゃん、というのは、なんか悔しいのです。俺たちの音楽脳は既に西洋化されているけれど、丸ごと飲み込んで自国化してやって、再び人類全体に還元したいのです。


 例えばラテンの打楽器は、ロックやポップスと邂逅して、汎人類的な楽器として世界中で使われています。和太鼓にだってその可能性はあるはずですが、でも今のままでは無理です。楽器の改良が必要かもしれない。ヒット・チューンも必要です。


 自分がそれを生み出したいし、仮に無理でも、俺たちに影響を受けた誰かが、いつか音楽史に名を残すかもしれない。そういう「伝統」の中に自分はいるんだと思っています。俺にとって和太鼓で音楽する目的とは、和太鼓の歴史に参加して一石を投じる事なのです。


 とまあ、何だか大見得切りましたが、やりたいことやらせてもらって15年、失敗も後悔も山程ありますが少々の哲学を持つ程度には音楽やってこれました。


 和太鼓だからといって、そこから発せられる音にまで日本を背負わせる必要は無いと思います。音には「自分」が込められてさえいれば良いと思います。


 俺は日本人だから和太鼓を選んで演奏しています。その音楽は自分らしく、ロックです。


 それで良いと思ってます。「それで良いんじゃね」と思ってくれる人が増えて俺が体制側になったら、反体制側の若手をボコボコにしてやりたいです。



おわり 次の話

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