[BATI-HOLIC が出来るまでの話・4]

最終更新: 2019年9月3日

 結局の所、大学時代からの仲間と過ごす時間の心地よさには抗えなかったという事です。頑張って会社員やってたつもりだけど、やっぱりどこか、そこから逃げ出したい気持ちもあったかもしれません。今振り返って見れば、そう思います。

 そんな、モラトリアムの続きみたいな動機で始めた活動だから後々苦労する事になる…というのはまた別の話。


 さて、公演をやるからには団体名が必要だろう、という事でみんなで考えました。この時、先輩のゆっこさんが提案したのが「BATI-HOLIC」でした。全会一致ですぐに決まったけど、当初案は「BATI☆HOLIC」で、つのだ☆ひろリスペクト感が出過ぎていたので☆は無くすようお願いしました。


 以降、「平くんに誘われた東京公演」は「BATI-HOLICの旗揚げ公演」になりました。


 平くんは公演の企画責任者として、充は舞台部門のチーフ、俺は演出助手として。そして黒さんはモチベーター兼コンセプターとして、グループを牽引しました。その頃松上はまだ童以下ry


 黒さんの付けた公演タイトルは「ドンシャカピーポー」でした。

 「ドンは太鼓、シャカは鳴物、ピーが笛でポーが唄。賑やかな公演という意味の他、BATI-HOLIC の楽器編成を表す言葉でもある!」と真顔で説明されましたが「ポーが唄」はこじつけとしか思えませんでした。あと踊り演目もあったのにそこには触れられていませんでした。当時は真顔で冗談を言う芸風に挑戦していただけかもしれないので、今度聞いてみようと思います。


 フライヤーのキャッチコピーは「父さん母さん、旗揚げです。」でした。

 「和太鼓ドン」という直球過ぎる名前のサークルを作った先輩が考えたことなので、もうなんか仕方ないなと思いました。大学の4年間を通して、その明らかにダサいセンスをちょっと好きになっていた俺は多分もう洗脳されていて、引き返すことができない所に来てしまっていたんだと思います。あの頃に戻って自分を殴りたいです。


 それでも当時の心意気はというと、どうせやるならカッコよくてスタイリッシュで、誰もやってない面白い事をやりたいねって良く話していたものです。演奏曲はほとんどが伝統曲のカバー(コピー)曲ばかりだったのに…自分達を客観的に見つめることよりも、負けん気とか、勢いが勝ってたんですね。若さゆえに。そういうアホさは、15年経って振り返ると一周回ってもう一度取り戻したいなとか思ったりします。ネーミングセンス以外。


 自分が演奏に参加していなかったせいか、稽古や制作段階の記憶はほとんどありません。


 そして気がつけば2004年3月13日。


 東京は府中の森芸術劇場にて、昼夜計2回の BATI-HOLIC 旗揚げ公演の幕が開きました。


つづく