[BATI-HOLIC が出来るまでの話・5]

最終更新: 2019年9月3日

 2004年3月13日、府中の森芸術劇場。「BATI-HOLIC」の旗揚げ公演が開幕しました。


 出演者は総勢で17~8名くらいいたと思います。出演者のほとんどが京都在住で、昼夜2回公演にも関わらず500席あるホールが各回ともそこそこ埋まってました。


 俺は演出として、リハも本番も客席で見てましたが、正直断片的にしか内容を思い出せません。出演者達の高いテンションに、ちょっとグッと来た瞬間もあったかもしれません。


 公演は大きな事故もなく、奇跡のような出来事もなく、無事に終わりました。


 打ち上げでは、色々な話が飛び交ってました。本番を振り返って楽しそうに話す人。アンケートに一喜一憂する人。今後の身の振り方について話す人。

 俺はお店の女将さんに「マネージャーなのになんで挨拶に来ないの!」と怒られてました。一人だけスーツを着ていたせいで誤解されたんだと思いますが、ちょっと腹が立ちました。


 この公演が成功だったのかどうか、今でもよく分かりません。けど、この公演によって幾人かの人生が変わったのは事実です。


 「BATI-HOLIC」を今後も継続していくのか、みんなで話し合いました。それは人生を左右するとても重要な場でした。でもその時は、そんな事わからなかったのです。自分が何を言ったかも、よく覚えてません。


 話し合いの結果「BATI-HOLIC」はプロを目指すグループとして再出発する事になりました。本来の道に戻った人もいたので人数は減りましたが、それでも10名以上のメンバーが残りました。


 俺は務めていた会社を退職して、貯金とバイトで生計を立てつつ、何となくこの道で頑張る事にしました。やっぱり、この仲間たちと何かを成していく事が楽しかったからです。

その部分については15年経った今でも続いている所です(たまにブレますが)。



 ここまでで「BATI-HOLIC が出来るまでの話」は終わりです。


 終わりなんですが、創立に関わっていないせいでほとんど話に出てこなかった松上について、追記しておきます。


 彼はグループ結成から5年後、2009年4月に加入しました。その後一旦休養期間があって、2010年の8月頃に再加入します。加入の経緯を全然覚えてなくて本人に確認したら、どうも俺が電話で加入を誘ったらしいです。全く覚えてなかった…ごめん松上。

 ちなみに誘った時の言葉は「男手減ったから手伝って」だったそうです。全然、良い話にならないですね。


 次回からは別のテーマでなんか書きます。


 せっかく15周年だから何か書いて欲しいお題があったら教えて下さい。

 他のメンバーもなんか書いてくれないかなー



おわり 次の話